日本障害者ライダーズ協会
JDRA


私は左大腿切断ですが大型自動二輪です



【自己紹介】

はじめまして、私は広島県在住の38歳♂の名前は中村と申します。AT二輪免許について調べているうちにこのサイトを確認させていただきました。現在電気シフターを含め諸々の事に大変関心を持っています。簡単に私の二輪履歴を紹介させていただきます。皆さんの参考になればと思います。



【高校時代

その当時の映画「汚れた英雄」の強い影響を受け、将来は絶対にGPライダーになってやる!と思いつつ大学受験はほとんどせずただひたすらバイク本(ちゃらちゃらした広告ばかりの雑誌から、いろんなグラフや数値、プロライダーのテクニックなどかなりマニアな本まで)でバイク知識の習得に励む。しかし、残念なことに私の通っていた高校はバイク免許の取得を許してもらえない高校であったのと、親の反対を押し切ってまで免許取得する根性も持ち合わせてはいませんでした。

【大学時代】

既に免許取得のための勉強は高校時代に充分していたので、高校卒業と同時にたちまち原付免許を取得。当時は空前のバイクブームでレーサーレプリカが多く発売されはじめた時期!スクーターレースも盛んに行われ私も数回参戦しました。初めてのレースで原付はぼろぼろになってしまいましたが…(^^;)

中型免許もすぐに取得したかったのですが筆記試験を二度受けるのがめんどくさいので車の免許を先に取得し、免許取得一週間後には中型二輪免許も取得しました。それからは大学の二輪部に所属し、ホンダのVFR400Rというレーサーレプリカを所有し、毎日皮つなぎを着用して山の住人となっていました。
二輪部では副部長として部員30名くらいの仲間達と共に年に二回は県外へテントをバイクに積み長期ツーリングをしたりもしていました。しかし、この頃になると周りにバイクの扱いがうまいとチヤホヤされてノボせていた恥ずかしい時期です。
その後公道では大排気量のバイクの面白さを教えてくれる人と出会い、当時広島県は大型二輪免許(当時の限定解除)の取得は全国一困難な県(当然現在のように公認学校もなく、試験場で一発実技テスト、平均15回くらい受けないとノーミスでも合格しない)でしたが、12回の試験後めでたく限定解除を取得しました。
バイクも頑張って夜もバイトし、大排気量マシンの楽しさを教えてくれた友人と同一マシンのGSX-R1100R(ヨーロッパ使用135PS、17年前当時最大パワーバイク)を購入し、乗り回していました。この時期が一番バイクライフが充実していたと思います。しかし、人間の欲望とは限りが無いものでいつしか当時最高のバイクを選択していたにも関わらずあるバイクに強烈な興味を持つようになりました。それは当時でも既に旧車になりつつあった2ストエンジン500ccのバイク、ヤマハのRZV500です。いつでも思ったとおりにマシンの向きを変えられ、どんな状況下でもアクセルに従順にモリモリパワーで答えてくれるGSX-Rと比較して、パワーバンドをはずすとかったるい、しかしパワーバンドに入ると1100に乗っていた私でも全然不満を感じないパンチ力、とても最新鋭とは比較できないトリッキーな足回り、芸術的な後方4気筒それらに心を奪われた私はGSX-Rを下取りに出し念願のRZV500を手にいれていました。

【事故】

そんな私に障害者になった原因の事故がおきました。大学3年21歳の夏休み、二輪部恒例の夏合宿ツーリングにテントを積み九州一周をしていました。事故はガードレールに突っ込みその際にガードレールに挟まった左足を切断するといった大事故です。原因はとてもはずかしい内容ですが正直に話すと居眠り運転です。長距離のバイクツーリングを体験したことがある人ならば一度は「あっ!今一秒寝てた!」なんて体験したことがあると思いますが、私は数秒寝てしまったみたいです。
400時代に目を三角にして根性だけで走っていた頃は山ほど一人で転倒しましたが、大型になってから一度も、ましてやツーリング中に転倒したのは初めてで、それで障害者になってしまいました。同時にレーサーになるという夢も砕け散ったのです。免許には自動二輪はATで三輪に限るという限定が付けられました。自分の二輪人生は終ったと思った私は限定設定に何の不満も持ちませんでした。

【社会人になって】

免許に限定を付けられていたが、免許証更新のときに免許センターの人に「限定解除とっとるなら二輪でも乗れるじゃろう」といわれ、話のいきおいで「ええ乗れますよ」と答えると三輪の限定をとってもらえた。このとき免許センターの人に言われないと今の私はなかっただろう。しかし、この時期は車に趣味が移っていたのでバイクには乗っていませんでした。

【結婚して】

奥さんと付き合っていた当時はスポーツカー(RX-7)に乗っていたが、さすがに結婚後は生活費の節減の為に売りに出す。自分の乗り物は通勤用に中古で友達から買った90ccのスクーター(リード)だけになる。その後子供が生まれるまで私とモータースポーツの関係は完全に遮断された。子供が誕生後は子供の保育園の送り迎えに車が必要という理由で中古のフェアレディーZ(Z32)を購入(なんでやねん!)、年相応のモータースポーツを楽しんでいた。通勤には燃料代節約のためリードを使用していたが、以後ビッグスクーターの流行となるマジェスティー250を安全面(バイクは大きい方が安定する)を考慮し、中古で購入する。ある日T地路からノーブレーキで飛び出して来た車に車体をぶつけられ、車体が新車のスカイウェーブ250になった。

子供♀が5歳になって色々な要望を出すようになり、お金もかかるようになってきた。おそらく、父親としていろんなところへ連れて行けるのはあと十年もないだろうと思ったのと、奥さんのたっての希望で自分のフェアレディーZを売り、ファミリーカー(オデッセイ)に変えた。ちょうどその頃大学時代の二輪部の友人達がバイクを購入し、250のスクーターに乗っている私にツーリングの誘いをいれてくるようになった。友人の一人はヤマハのT-MAXという500ccのスクーターを購入しており、幸い免許に排気量限定の無い私は試乗させてもらえる機会ができた。T-MAXに乗り山の中を走った私は体の中に電流が走る感覚を覚えた。大学時代思いっきり走った感覚が長い年月を超えて封印から解かれたような感覚。それからスカイウェーブを友人に売り、現在のシルバーウィングを手にいれた。シルバーウィングになってから、毎月バイク仲間(モトGPレーサーレプリカばっかり)とツーリングに出かけています。たまに、5歳の娘も乗せてツーリングします。

【今後は・・・・】

先月はサーキット走行をシルバーウィングでしてきました。サーキットでスクーターは本当にめずらしいらしく大変奇妙がられたかもしれませんが、他のレプリカに余裕で付いていけます。そろそろサーキットでビッグスクーターレースのカテゴリーができてもいいのに…と思うのは私だけではないとおもうのですが…。私の夢はいつか電気シフターをつけたRZV500に乗り思いっきりサーキットを走ることです。電気シフターを付けるということはATでは無いので免許の問題もあります。いいサイトに出会えたと思うのでこれからも情報提供お願いいたします


【ちょっとしたコツ】

ちなみに左足膝上から義足の私がバイクに乗っているときに気をつけている技術?を一つ教えます。

片足が義足でバイクに乗っているとき一番怖いのは停車時です。私のシルバーウィングは燃料を積んだ状態だと230kgを超えます。それを左足の義足側にバイクを傾けたら注意して足を地面に着けば大丈夫ですが(何べんか広い駐車場で練習した!すばやく重心を移動し、膝を曲げない状態で足をつく)少しでも膝が曲がっていたら車体を支えることはできません。そのため、停車時足を着くときには悪状況であっても必ず義足ではない右足を着くようにしています。バイクの基本的な動きでハンドルを切った反対側に車体が傾くという特性があります。通常何も考えなくても停車時に足を着く方に体重をかける、足を出す等でその方向にバイクは傾きます。しかし、先程説明したバイクの基本特性を知っていれば停車寸前で何らかの悪条件で自分の意図する方向以外に車体が傾いても即座にバイクの傾斜方向を変化できます。左足が義足の私は停車時に一瞬左側にハンドルを切ります。それでもやばいときは、そのハンドルを切ったままで10センチ〜20センチくらい進めて止めます。これで操作前に義足側に傾いていても以上の操作をすれば必ず車体を切り返せます。


中村さんは左足が義足です。バイクではチャンジ側ですので、一般的にはギアチャンジ出来ないと判断され、AT限定が付いたと思うのです。じゃあ、右足義足の人は、どうなんだ?というのは素朴な疑問ですね。
マニアなら古い右チェンジのW1で・・・とか色々考えたりします。 一朝一夕には変わりませんが、皆様の情報を元に、可能性を提示できればと思います。


【情報は】
バイクは他の乗り物から比べて危険な乗り物です。まずこの事実からは絶対に逃げてはいけないと思います。それ故に障害者である我々がバイクライフを堪能するためにはより安全性を追求する義務があると思いますし、追求した情報はバイクに興味がある障害者の人たちに提供するべきだと思います。



日本障害者ライダーズ協会