日本障害者ライダーズ協会

JDRA
脊椎損傷から復帰 フォルツァのトライクに乗る南大阪のしもけんさんの物語
■この色は結構、目立ちますね!精悍な感じがします。

■製作はサクマエンジニアリング
 モーター式のバックシステム搭載で便利

■ガソリン補給のステップ間なので、乗ったまま給油出来て良い。
■杖のホルダーは自作のマジックテープを使ったものです
【初めまして、しもけんさん、】
宜しくお願いします、しもけんで結構です。南大阪在住の現在25歳, フォルツァトライクに乗る障害者ライダーです。自己紹介は簡単な表作りましたのでを御覧下さい。

【障害についてお願いします】
はい、事故に因る脊髄損傷です。屋内は車椅子での移動、屋外は両足に装具を付けて松葉杖での移動してます。車椅子だけでどこにでも行けたら楽なのかも知れませんが、残念ながら現状はそんなわけにもいかないので。

【御家族の反対は?】
今まで、我慢してきた。というのもありましたが、家族からの反対も無く(危ないというのはもちろんありましたが…。)
『楽しいことが見つからない。』『何のために仕事してんのやろ。』『何のために生きてんのやろ。』とこぼしていましたし、精神的に辛かったのを分かってくれたのではないでしょうか?

【フォルツァトライクを選んだ理由はなんですか】
2輪免許が取れる可能性が有るというのを知らなかったので、普通免許で乗れるトライクしか選択肢が無いと思ってました。
免許の条件は『普通車はAT車でアクセル・ブレーキは手動式に限る』『原付車は三・四輪のAT車に限る』となっていたので、やっぱスクーターしかないのかな。ホンダ好きなのでフォルツァに
正直、実用性、安全面、リセールバリュー、信頼性でダイハツのコペン(軽4輪オープンカー)も考えていました。価格的にもわりと近いと思いますし。お金の都合がついてからもかなり考えました。でも考えれば考えるだけ、『バイク乗りてぇ。』で

【障害にあわせた改造はどんな】
障害にあわせた改造は松葉杖ホルダを付けた以外特にはありません。車椅子のラックの取付もしようと思っていましたが、ラックが車幅よりはみ出してしまうので…。あと、近くで面倒見てくれるSHOPさんを見つけることはとても大事と思います。

【再び乗ってどうでした】
約7年ぶりの復帰です。
でも、トライクに乗った時は、『カァー、やっぱ気持ちエー。』ってな感じで多分泣きながら走りました。
2004年6月現在、納車2ヶ月ほど、約4,000キロ走行しました。
事故した場所にも行って思いました。『ざまぁ見ろ!!俺は帰ってきてやった!』

職場の人たちと泊まりでツーリングにも行きました。暇があれば乗っています。メチャ目立ちます。好きそうなオジサンとかオニイチャンによく声をかけられます。子供に手を振られた時もありました。
バイク雑誌見ながら、『まずはブレーキやな。メッシュホース入れて、大径ローター、パッドも変えて…。』とか部屋でニンマリしてます。

【休日は待ちどうしい?毎日がどう変わりました】
休日まちどうしいですねえ。一日乗っています。天気よければ通勤に乗っていきます。そのまま遠回りして帰ります。
家に帰って、晩酌して寝るだけの生活って、なんて無駄に生きてるのかと思ってました。それに比べれば大分改善。家族にも当たることが少なくなったと思います。

【同じ道を走っても視線や.感じ方もちがいますね】
いつもの通勤の帰り道からフラッと峠道や海沿いの道へ(今の季節、陽が長いので夕暮れ時がきれいです。)
一日の嫌なことなんてどうでも良くなります。

【大型自動二輪免許は返納してしまった?】
『バイク乗れるように体が回復したら返す』との事でしたが、もう6年以上前の話ですし、失効になってるのかもしれません。

【これからは?】
いつかは、もう一度2輪免許を持ちたいです。クラッチ付にも乗りたいです。
気が早いですが、次回はクラッチ付のトライクを・・・・オネエサンとタンデムで・・(笑い)

掲示板に書き込みしてから、スクータートライクに乗りたいという方と、既に乗っておられる方からメールをいただきました。
そんな繋がりもできていったらなあと思います。まだまだ走ります。今まで乗れなかった時間分も走ります。
やっぱり、こんなに楽しい事は他にないです。 でも危ない事ってのを忘れちゃいけないです。

【伝えたいこと有りますか?】
自分と同じような障害の人を含め、障害者の方に『バイクはおもしろいでー。』と無責任には言えません。
でも、『乗ってみたいけど、どんな感じかわからない。』そんな人にはお試しで私のトライクも乗ってほしいとも思います。
僕も実車が来るまでかなり不安でしたから…。なにせ初めて見たトライクが自分のマシンでしたし…(笑い)
近くの方なら、是非見学に来てください。そういう事で応援させて下さい。

【有難うございました、これからも安全運転で】
お互いに!ハハ(笑い)
今、当時の事を思い起こすと、親に心配をかけスゴク悪いことをした…。と思いますが、当時はやっぱり降りられませんでした。
事故するまでの時期を振り返ると今でも『あんなに楽しい時期はなかった。!』と思います。
事故してから、もう2度と乗れないものと思ってバイク雑誌も極力見ないようにしていました。信号待ちでバイクが横に止まったときもなるべく視界に入れないようにしました。(マジ)
そんな時丁度、自治体の講演で星旦二先生の話を聞きに行った際、『やっぱ、生き甲斐が必要』と感じたのと、『もうやってられるか!!』と当時はけっこう煮詰まってた思います。インターネットで青木琢磨さんを見てから『乗れるかも…』思いながら時間も過ぎて行きましたが、

心理状態は、かなり落ち込みました。周りに迷惑かけてるのくらい判りましたし。歩けないっていう現実を考えたときは『足が動かないから窓から飛び降りるのもできない。』と思ったときもありました。直後は多少楽天的なことも考えれましたけど、現実が見えてきて、ふさぎ込むときもありました。幸い(これはすごい有り難かったこと)復職できたので、経済面では不安は少なかったと思います。
でも、社会復帰して生活していけばしていくほど『できない事』に直面しますし、かわいそうってな目で見られることも有ると思います。だから見栄はって無理して生きてます。(僕の場合は自業自得ですし。)

16歳: 原付、二輪の中免取得(ライブDioZX、NSR250(89年式))CB400SF.verS
18歳 就職 普通四輪免許、二輪大型免許取得(ライブDioZX、NSR80、CB1000SF、トランポがわりの軽トラ
CB1000SFで車と出会いがしらの事故、保険金で憧れのNSR250SP(95年式)購入!。

NSR80単独クラッシュで脊髄損傷に。S市のB病院に約8ヶ月入院。
19歳 退院、職場に復帰。 (アコードワゴン sir)
25歳 トライク納車、走りまくってます。(ホンダフィット1.5T フォルツァトライク)

本当に親・家族・親戚に迷惑かけました。勿論、職場の方々にも。整形外科の先生・看護婦さん達・リハビリの先生やヘルパーさん達。その他の大勢の皆様にも迷惑もいっぱいかけました。
入院中、アホなこと一緒にした人たちありがとう。(いいガス抜きができました。)
これからもお互いガンバって行きましょう。

ATVへの挑戦